12年前の恋人との思い出を未だに思い出す女々しい僕が、その場所を再び訪れてみた
ただ過去を美化しておセンチ気分に満足し、現在から目を背けているだけなのかもしれない、けど、、、
駅から自宅までは約5分。線路沿いの真っ直ぐな一本道。夜になると人通りも少なく街灯は薄暗い。急行に各停にと次々、吊革に疲れた顔をぶら下げた満員電車が僕の横を通り過ぎていく。
思わずこぼれるため息がそうさせるのか、右手に持っている気の抜けた発泡酒がそうさせるのか、時々、過去の恋愛を思い返す事がある。
もう、12年も前の事なのに。
正確に言えば思い返すというより、思い出の中に入り込む、といった方が近いのかもしれない。
歩きながら、見慣れた景色をスクリーンにして、当時の思い出を映し出しながら家路に着く。
右手の発泡酒は、気が抜ける一方だ。
「男は名前をつけて保存」 「女は上書き保存」というけれど、、、
まんまとこの通りで気恥ずかしいが、僕は名前をつけて保存してしまっている。センチメンタルの電源がONになれば、すぐ目につく12年前の恋。
12年振りに思い出の場所に行ってみることにした
当時僕は売れないバンドマンだった。ゲームセンターで週5日ほど朝から夜までアルバイト。夜は週2回スタジオでリハ。残りの時間はと言えば、作曲も作詞も“煮詰っててさ〜”なんて、プロ気取りの言い訳でいつも中途半端。夢ばかり語って膨らませているだけだった。その上、実家暮らしで家にもお金を入れない甘えたダメ野郎だった。
今思えば、そんな奴に夢が叶えられるわけがない。そりゃそうだ。本気で向かっている友達は確かに必死だった。夢に真摯に向き合っていた。死に物狂いだった。
僕は、同じように必死で夢を追っているフリをしてるだけだった。まるで夢が叶う宝くじを握りしめて「当たらないかなぁー」と淡い期待をしながら過ごしているような、ただ可能性に賭けているだけのような、そんな情けない奴だった。
彼女は1つ年下だった。大学に通う為に東京に出てきていた。実家にいる時から家事を手伝っていたという言葉通り料理も炊事も洗濯も完璧で、家計簿も付けるしっかり者だった。当時はmixiが全盛期だったけど、プライベートをネットに晒すという行為だけには否定的な人だった。しかし、それ以外は寛容で夢を追う“真似事”をしていた僕の事も熱心に応援してくれた。
小柄な彼女より僕の方が約30cm背が高い、という事しか僕が勝るものはなかった。
交際は彼女が就職を決め社会人になった年まで、約2年続いた。
ほんの一瞬、過去に戻れた気がした。でも、もう、僕も彼女もこの街にはいない。
電車を降り、ホームの駅名を見て懐かしさがこみ上げた。当時、どんな気持ちで何を考えていたのか、自分の心が過去に戻って確かめようとしているのを感じた。
階段を上がると改札が見えた。いつも彼女は改札を出て右側で待ってくれていた。目の病気を抱えていた彼女は学校以外では度の強い眼鏡をかけていた。僕はその姿も好きだったけれど、彼女はそれが嫌いだった。いつも顔が隠れるように大げさに下を向きながら待っていたので、人混みでもすぐ見つけられた。
改札を通り、思わず右側をみた。彼女はいない。あの頃の面影も、彼女の面影も感じることなく、そこにはただただ慌ただしく人が行き交っていた。
駅前に出るとケーキ屋がある。バンドばかりにお金をかけて貧乏だった僕はプレゼントが買えなかった。だから、その代わりにはならないかもしれないけど、よくケーキを買って帰った。いつも彼女の分の1つだけ。もちろん彼女の分だけというのは建前で、正確にはお金がないから1つしか買えなかった。
僕は「ご飯食べてきたから、いらない」などと毎回嘘をついてお金がないのを誤魔化した。彼女はショーケースを覗いては、いつも決まって一番安いケーキを注文した。彼女もまた「このケーキ好きなんだよね」などと毎回嘘をついた。
ケーキ屋はもうなかった。そこには大きなパチンコ屋のビルが建っていて跡形もなかった。有名アイドルとコラボしたパチンコ機のポスターとそれを飾る風船が、ケーキ屋の入口だった場所で風になびいていた。
駅前のスーパーに入った。当時と変わってない場所がある事に安堵している自分がいた。当時よく食べていたシリアルを買おうと思ったが、中々見つからず店内を行ったり来たり。僕は買い物かごを持って彼女に付いて歩いていただけだったんだな。と、400円の買い物に苦労しながら気が付いた。
あの柔らかい笑顔が、今も何処かで咲いていると、僕は願っている
スーパーを出た。当時の“帰り道”を思い出と一緒に、左右を見ながら、記憶を確かめるように歩く。ゆっくりと。
変わっていることに悲しみ、変わっていないことに安堵する。
僕はこの街にいて、彼女はこの街にいない。
僕は違う街に住んでいるし、彼女も違う街に住んでいるだろう。
僕は歳を12個も重ねた。彼女も歳を12個も重ねただろう。
「女は上書き保存」ならば、彼女はもう僕のことは忘れているはずだ。
でも、それでいい。僕はこの街を訪れ、そう思った。
僕の記憶の中にいる彼女は、いつも笑っている。
それだけで、いい。
恋愛の思い出を引っ張り出して、いつも僕は感傷に浸っているだけだった。けれど、12年前の僕と彼女に会いに行って、ひとつわかった事がある。
僕は、彼女の幸せを願っている。
あの柔らかい笑顔が今も何処かで咲いていることを願っている。
プライベートをネットに晒すという行為だけには否定的な人だから、彼女の現在を僕が知ることは一生ないだろう。でも、それでいい。
もし、偶然に、彼女に会うことがあったとしたら、きっと彼女は「今とっても幸せだよ」と、微笑みながら、僕に伝えてくれるだろう。
あのケーキ屋で一番安いケーキを注文していたように、
人の気持ちを読み取れる、優しい人だから。
僕の記憶の中にいる彼女は、いつも笑っている。